考えるな、感じろ(その2)


前回の記事「感性に訴える」の続きです。

演劇界では、「つかこうへい以前、つかこうへい以後」という言葉があるようです。
それくらい、1970年代、つかこうへい氏の登場は、衝撃的で、
1980年代にかけて、一大ブームが巻き起こったのですが、
その理由について、昔のつかファンがよく言ってたのは、
「つかさんのお芝居を観ると、なぜかわからないが、魂が揺さぶられる」
というような感じのことでした。

つまり、お客さんは、
意識では、その理由がわからないのだけど、
なぜか感動したり勇気がわき上がってきたりする、
というのです。

実際、つかこうへい氏のお芝居は、テンポが速く、急に場面が変わったり、
ちょっと前の場面との、話のつながりがよくわからなくなったり、と
観客が意識的にお芝居を観ようとしても、
意識がついていけない構造になっているように思われます。

そこに、
照明の使い方(視覚)や、突然、大音量の音楽が流れ(聴覚)、
ダンスが始まったりする(触覚)等、
無意識を大きく刺激する仕掛けが施され、
観客も頭ではわからないままに感情が揺さぶられていたのだと思います。


このようなこともあってか、
昔、つか作品をまともに解説できた演劇評論家は、
ほとんどいなかったようです。

彼らは、頭(意識)で考えてお芝居を観ていたからです。
そして、自分の意識でわからないものだから、
当初は、つかさんの芝居に対する酷評も多かったようです。

しかし、お客さんはそんな風には劇を観ていないのです。
お客さんが求めているのは、頭で理解することではなく
体で感じることだったのです。

これと同じことが、心理学者の理論等にもあてはまるかもしれません。


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