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同じ制度でも考え方で成果は変わる(制度より運用が大事)


昔、企業の人事評価制度として
目標管理制度を導入するのが流行ったことがありました。

その考え方は、目標の達成度に応じて、
成績を決めるという発想に基づいていたと思いますが、
おそらく、そんな発想では、どの企業も失敗したはずです。

なぜなら、そんなことをしたら、
普通、従業員は目標を低く設定しようとします。
目標が低い方が達成率が上がります。

そうならないように、部下が適切な目標を設定するよう
管理者がマネジメントすればよいという意見があると思いますが、
それも無理です。

何が適切か判断する統一された基準など作りようがないからです。

この場合、目標管理制度自体が問題なのではありません。
それを評価制度として使おうという発想が問題です。

明確な目標を立てて仕事をすすめるというのは
パフォーマンスの向上につながります。

目標管理の重点を結果(人事評価)に置くのではなく、
パフォーマンス向上につながる目標を立てるという、
能力開発的側面に重点を置いた運用をする方が制度が活きます。




文脈に応じて意識状態を変える


私はキャリアカウンセラーとして
就職希望者と面談を行う時があります。

その時の私には、大きく分けて2つの役割があり、
一つは、企業で人事評価・育成に携わっていた者として
企業側の視点に立ったアドバイスをすることであり、
もう一つは、ファシリテーターとして、
就職希望者が自分自身の答えを見つけるための
プロセスを支援することです。

実は、前者と後者では全く正反対の意識状態になる必要があります。

アドバイザーとしては、意識を働かせる必要がありますが、
ファシリテーターとしては、無心になる必要があります。
本人が決めるべき問題に対して私の考えを押しつけないようにするためです。

アドバイスを受けている側の人は、
特に深いラポール状態にあるとき、
アドバイザーの意見をどんなことでも鵜呑みにしてしまう危険があるので、
アドバイザー側が自分を律する必要があります。


短期記憶から長期記憶への移行


1.何度も覚えたり思い出したり、繰り返すことにより
  短期記憶は長期記憶として定着する。

2.強い感情を伴った記憶は、長期記憶として定着する。


短期記憶


人間が意識的に記憶できる容量と、
その記憶の持続時間には限界があります。

それは、短期記憶と呼ばれ、
容量は、7±2(5~9)のチャンクまでであり、
容量は20秒程度とされているようです。

ちなみに、これは、ミラーの法則と呼ばれていて、
チャンクとは、ひとかたまりの情報量を指します。

例えば、11ケタ電話番号を覚える時、
多くの人は、3つの塊に区切って覚えると思いますが、
その3つの塊一つ一つがチャンクに相当します。

つまり、意識的な記憶には、かなりの限界があるということです。

だから、例えば、
コミュニケーションにおいては、
全体の話の中で細かいところまでつじつまを合わせる必要などなくて
流れに任せて話を進めていけば、少々、論理展開がおかしくても
何の問題もないと言えるかもしれません。

英語は話す時なども、日本人は真面目ですから
きっちり文法通り話そうとしますが、
それよりも、相手の印象に残したい単語だけ浮き彫りにさせて
流れに任せて話し続ければ、
少々目茶苦茶な論理展開でも、相手が自分の頭の中で
うまくつじつまが合うように整理してくれるので
意外とうまくコミュニケーションが出来るのではないかと思います。
(逆、あまりに正確に話そうとする方が、流れを中断させることになって
相手の思考やイメージを拡散させてしまい、逆効果かもしれません。)


考えるな、感じろ(その2)


前回の記事「感性に訴える」の続きです。

演劇界では、「つかこうへい以前、つかこうへい以後」という言葉があるようです。
それくらい、1970年代、つかこうへい氏の登場は、衝撃的で、
1980年代にかけて、一大ブームが巻き起こったのですが、
その理由について、昔のつかファンがよく言ってたのは、
「つかさんのお芝居を観ると、なぜかわからないが、魂が揺さぶられる」
というような感じのことでした。

つまり、お客さんは、
意識では、その理由がわからないのだけど、
なぜか感動したり勇気がわき上がってきたりする、
というのです。

実際、つかこうへい氏のお芝居は、テンポが速く、急に場面が変わったり、
ちょっと前の場面との、話のつながりがよくわからなくなったり、と
観客が意識的にお芝居を観ようとしても、
意識がついていけない構造になっているように思われます。

そこに、
照明の使い方(視覚)や、突然、大音量の音楽が流れ(聴覚)、
ダンスが始まったりする(触覚)等、
無意識を大きく刺激する仕掛けが施され、
観客も頭ではわからないままに感情が揺さぶられていたのだと思います。


このようなこともあってか、
昔、つか作品をまともに解説できた演劇評論家は、
ほとんどいなかったようです。

彼らは、頭(意識)で考えてお芝居を観ていたからです。
そして、自分の意識でわからないものだから、
当初は、つかさんの芝居に対する酷評も多かったようです。

しかし、お客さんはそんな風には劇を観ていないのです。
お客さんが求めているのは、頭で理解することではなく
体で感じることだったのです。

これと同じことが、心理学者の理論等にもあてはまるかもしれません。


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