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ヒューリスティック


ものごとを考えるとき、人間には、
「速い思考」と「遅い思考」の2つのシステムが存在します。

前者は無意識の思考、後者は意識的な思考に該当する
と思われますが、
基本的に、人間は、意識的に(「遅い思考」で)ものごとを考えるのは、
面倒くさいので嫌いです。
(実際、考えることは相当なエネルギーを消費してしまうようです。)

そこで、人間は、難しい問題に遭遇したときには、
ただちに「速い思考」が動きだし、
本来の問題と似たような簡単な問題を探し、その簡単な問題の答でもって、
本来の難しい問題の答に置き換えてしまいます。

これをヒューリスティックと言います。

これにより人間は、難問に出会っても、
まあまあ適切な答えを出せる(応用が利く)一方、
時に、大きな間違いをしてしまうこともあります。


因果関係はわからない


人間は、何もパターンのないところにも
無意識のうちに、何かのパターンを見つけようとします。

そして、特に自分にとって大事な問題の場合、
そこに因果関係を当てはめてしまいます。

もちろん、そこには本当に因果関係があるのかもしれませんが、
物理の世界と違って、人間の心理については、
ほとんどの場合、その因果関係を証明するのは困難です。

前回の記事で、取り上げた「バタフライ効果」のように
いろいろなものが複雑に絡み合い影響し合っている状況では、
本当の原因が何なのかは断定できません。

たとえば、○○が原因で○○が起こった、とかいう場合、
それは、錯覚あるいは思い込みに過ぎない場合が多いと思われます。

逆に言えば、因果関係なんかわからないのだから、
どのように思い込むかこそが大事だとも言えるでしょう。


神様はいるか


奇跡的な体験をした人が、その原因を
「神様のおかげだ」だと言うことがあります。

もちろん、それは本当に、神様のおかげかもしれませんが、
そうでないかもしれません。

そもそも、神様とは何を指しているのか、
少なくとも誰もが納得する形で定義することは不可能だと思います。

定義できなければ、その存在を検証することができません。

神様を信じることで、自分にとって望ましい人生が送れているなら
それは、良いことでしょうが、
神様を信じることで、苦しい人生になっているなら、
そんな神様は捨ててしまった方が良いかもしれません。

信じる者は、救われもすれば、騙されもします。


頭ではわかっているが、体がついてこない


私の経験上、
口では、「自分を変えたい」と言いながらも、
無意識レベルでは、「変わりたくない」
と思っている人がたくさんいるように思われます。

これは、決して、その人はウソを言っているわけではなく、
自分が本当に求めているものに気づいていないだけです。

変わることにより新たに得られるメリットがあれば、
変わることにより失われる既得のメリットもあります。

この両者の調和が図れていなければ、
いくら意識で変わることを望んでいても
体(無意識)は、それに抵抗し、
なかなか前にすすめない状態になります。


理論より観察力が大事


コミュニケーションに限らず、
あらゆる分野でさまざまな理論がありますが、
最終的に、何ごとも、出来なければ意味がありません。

あるコミュニケーションの理論どおりに実践できたとしても
自分の望む反応を相手から得られなければ意味はありません。

逆に、理論的には無茶苦茶でも
自分の望む反応を相手から得られれば、それはOKです。


対人コミュニケーションにおいて、
自分のコミュニケーションがうまくいっているかどうかの
判断基準は、相手の反応です。
つまり、自分が求める反応を相手から得られているかどうかです。

そして、自分のやっていることが意味のあることかどうか
わかるためには、
自分が相手からどのような反応を引き出したいのか、
がわかっていなければなりません。

そして、相手の反応を細かく見/聞き/感じられる観察力と
相手の反応に応じて柔軟に自分の対応を変えられる柔軟性が
求められます。

もし、優れた観察力と、
相手の反応に対して
自分の対応を適切に変化させられる柔軟性があれば
理論は必要ないでしょう。


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